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本社はなぜ分かってくれないのか?

先日、社外のある方から「いつも読んでいます」とお言葉を頂きました。こういう一言、本当にありがたい限りです。この駄文にその方の貴重な時間を使っていただいたわけですからね。続けようという意欲が湧きます。勇気100倍です。

さて、今回のテーマは「なぜ、本社はわからないのか?」という永遠のテーマについて(笑)

こういうテーマはこれに限らず

・うちの経営陣は現場のことが分かっていない

・政治家は庶民のことなんて分からない

・役所は住民の気持ちなんて分からない

古くは

・先生は生徒の気持ちなんて分からない

・うちの親は俺たちの気持ちなんて分からない

これって、逆の立場から見ても同じようなことを言ってたりします

・うちの現場はそこしか見ていない。もっと広い視野でみていない

・あれをやってくれ、これをやってくれ、財源がどこにあるんだ?

・そんな馬鹿なことをやって、誰が得をするんだ?

・そんな悪いことをすると、ロクな大人になれない

などなど

だんだん書いていて、古代エジプト時代から続く「最近の若い者は議論」に見えてきました(笑)

このお互い似たようなことを言っている理由としては、立場の違いもあるかもしれませんが、それ以上に「見ている風景が違う」これにつきます。

人は見ているものや、得た情報から物事を判断しています。

それらが全員で同じ経験、情報の取得なんて無理ですし、それをやろうとすると物凄く無駄です。だからこそ「役割分担」とか「分業」というものが存在しているのです。

逆に、上の人が現場で起きている全てのことを把握することだけに、時間をかけすぎているとすれば、それはちょっと危険かもしれません。

きちんと上の人がマネジメントとして、全体最適を考える時間が取れているかが問われるわけです。

一方、現場の人が現場の細かいことを把握せずに、全体最適ばかり考えても上手く行きません。

本社対現場でも全く同じ構図です。

お互い役割分担の中で、「よかれと思って」やっているに過ぎません。

結局、役割分担なので、ずれることが前提なのです。

ただ、程度問題でもあり、あまりずれすぎると現場の目線からみると馬鹿馬鹿しくなるでしょうし、マネジメントの視点から見ても、組織として「(ある程度)意図した方向に」動かなくなってしまうことになりかねません。

そして、マネジメントをする側に情報が伝わる際には、(マネジメントに到るまでの人達がよかれと思って行った)要約がなされるわけで、何らかの情報の取捨選択が起きています。となると「ずれる」のは当たり前ですし、そのズレを無くすために、色んなコミュニケーションが存在するんですよね。

お互い、不満を持つ気持ちは分かりますが、それでは何も解決しないわけで、いつの間にか「(やってくれる、分かってもらえることを待っている)待ち状態になっているのではないか?」と自問自答してみるのも一つなのかもしれません。

と、天に唾を吐くように言ってみます(笑)